いろはな創業ストーリー その③~東洋医学と母の死~
こんにちは。
本日もおこしくださり、ありがとうございます。
巡りごはん いろは 鍋谷みちこです。
創業ストーリー② ~悩みの共有できる場所が欲しかった~ の続きです。
~ 東洋医学と母の死~
「お母さんが、おかしいねん。」電話口の父の声。
小柄だったけど、普段から元気で重い病気などした事がない。
長年勤めていたパートを辞めて、
お友達との時間を楽しみ、
食事にも気をつかう母、おかしくなるなんて…
覇気のない うつろな母の顔。
「食欲がない、眠れへんし、イライラする…」
「死にたい…」
「せめて、一緒にハワイに行きたかったな…」
\もう、自分はダメだ… /
と何度も繰り返していました。
*
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「お母さん、そんな事ないよ。すぐ良くなるよ。」
内科・婦人科・心療内科を共に受診する。
診察券の枚数と不安が増えていく。
元気になって…ほしい。
しかし、母についた病名は 鬱病。
*
*
ついには寝たきりに。
「なんで、私は母を治してあげれないの?」
「おかしい。なんで母がこの病気になるの?」
*
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せっかく前向きになった私は愕然とし、自宅リビングの机に泣きふせました。
大人になってはじめて‥‥
子どもみたいに大きな声を出して泣いた。
「そうや!その手があった!」
「東洋医学なら、なんとかなるかもしれない」
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*
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主人の学校の先生が経営する鍼灸院にきていました。
病状さえ伝えきれないほど弱りきっていた母にかわって、私が答える。
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*
丁寧に体の状態を診ていく様子に感心した。漢方も処方してもらう。
その漢方を服用して二日後。 忘れもしない、偶然にも母の誕生日。
母が、母が…
自ら、布団を押し入れに、おし込みながら 言った。
「外にでかけたい」
「これからの人生どうやって過ごそうかな?」と。
*
「やったーー! やるやん! 東洋医学!」
「漢方ってほんまに効く!」
飛び上がる程嬉しかったのを覚えている。
しかし、母はその後体調を崩して
(自らの道を 選び) 今は天国に。
/
母も治してあげれなかった。
そして私は母親にもなれていないやん…。
\
自責の念と、情けないのと、くやしい思いでいっぱい…。
なによりも、ぽっかりと穴があいたかのような。
しかし、泣いてばかりもいられない。
既に埋め込んであったスケジュール帳のたくさんの予定と、過ぎていく時間が私を救ってくれました。
「絶対、何かする…」私だからこそできる事を探しはじめて。
(2011年)
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